流行りの聖地巡礼は作品に形を与える
昨年、大ヒットした映画『君の名は。』
ぼくの地元も映っていてテンション上がりました。2秒だけですけどね。
どうもkayoko_dxと申します。
最近、聖地巡礼が流行っているみたいですね。
映画、アニメなど文芸作品の舞台となった土地に赴くことで各街に観光ブームを引き起こしているようです。
ぼくもその1人なので、流行ってるみたいと言ってますが確信犯的に申しております。
1人の巡礼者として興味の惹かれるテーマであると勝手に感じたので取り上げました。
個人的には、地方経済に貢献することでそこでしか体験することのできない経験を得ることができるという素晴らしい文化だと思ってます。
そんな素晴らしい文化である聖地巡礼について考えをめぐらした結果、これは物語の立体化と解釈できるのではと思ったんです。
そもそも聖地巡礼という行い自体は太古の時代から世界中で流行っておりました。
キリスト教、イスラム教、仏教など信者の分布範囲が広い世界宗教が主な対象となっているようです。
帝政ローマ時代から始まり、ノルマン人大移動やビザンティン帝国建国の時も常に巡礼者は各地を巡りまわっておりました。
中世では子供達だけでコンスタンティノープルを目指す少年十字軍という無謀な挑戦も敢行されておりました。
その大部分は悪い大人達に騙されて人身売買の的になってしまう悲劇に見舞われてしまいましたが。
とにかく、聖地巡礼の歴史は長いんです。
そんな歴史ある習慣が現代の日本でも受け継がれていることが良いか悪いかは判断つきませんが、何か意味があるのではないかと思います。
立体化と申しましたがこれをまち歩きのテレビ番組に例えることができます。
テレビで紹介されていた商店街に実際に訪れると、テレビから得た印象と異なる印象を受けることがあると思います。
案外、道が狭かったり街角に子供が集まって和気あいあいとしていたりと、テレビで映らなかった場面に遭遇するわけです。
そうすると後日その場所を思い返すときはテレビの画面ではなく自分の視点からの場面が出てきます。
これは2次元から3次元のデータに変換したようなものです。訪れる前と後では物事の捉え方が変化して、その町の情報をより詳細に感じとることができるようになります。
そうするとどうなるのか。
よりその町の生活を再現することができるわけです。
これを作品の聖地巡礼に置き換えると、作品の舞台を見ることによって作品中の生活を実世界の生活に置き換えることだと言えるのではと思います。
それまで2次元もしくは脳内でしか再現できなかったものが、実際の現実に立ち表す(イメージをおこす)ことができるようになるんです。「〇〇ちゃんは現実の世界でならこんな生活を送るんだ、ふふっ」てにやにやしながら悦に浸ることは、作品に現実のディテールを与えることと同じことなんです。
物語の立体化とは、個人の脳内で勝手に拡張現実を楽しむというもはや高度な嗜み方と言えるのではないでしょうか。
それを太古の時代から行っていると考えれば、人類の素晴らしさの一端を認めることができると思います。
めちゃ長くなってしまいましたがつまり、聖地巡礼をすることで作品世界を現実世界に置き換える作業を行っているということです。
宗教の神様、聖人を現実に再現すると言えば聖地巡礼の重要さがわかりますね。
そんな素晴らしい文化を廃らせることのないようにこれからも巡礼者として身を費やしていきたいと思いました。
みなさんもこの文化を一緒に楽しみましょう。ではでは